『スプラッター・ナイト 新・血塗られた女子寮』
2009年 アメリカ 監督:スチュワート・ヘンドラー
※本記事は、グロテスクな表現を含みます
大寒波、到来らしい。
ついに雪かと思ったが、いまだにこの周囲は降っていない。
このままの寒さなら、新天地での冬はどうにか越せそうだ。
山形のアンテナショップで、干し柿を買う。
昔は目もくれぬ食べ物であったが、一度食べたら忘れられなくなった。
砂糖は一切使用せず、原材料は柿オンリー。
この潔さが、称賛に価する。
水分が抜けて凝縮された柿の甘みは、冬の寒さとマッチする。
柿=田舎=矢口高雄の漫画と連鎖し、さらに魚紳さんというキャラに結びつく。
そういえば、彼の正体というか、素性は描かれたのだろうか。
三平一平氏の葬儀シーンが印象深いが、魚紳さんが駆けつけてくれたことに安堵した読者も多いのではないか。
ああ、釣りキチ三平読みてぇ。
さて、本作。
『スプラッター・ナイト 血塗られた女子寮』というタイトルに記憶があり、鑑賞となった。
その作品は1983年公開だが、鑑賞したかどうかは記憶にない。
80年代当時、私はまだマニアとしては駆け出しの時代。
情報は『ビデオでーた』などの雑誌のみで、当然ネットという便利なアイテムは一般化されていなかった。
鑑賞する作品も、自分の好みを優先し、ゾンビやクリーチャーに特化していた。
タイトルから恐怖の根源が明らかに人間と解る作品は、鑑賞の対象外だった。
現在は、とりあえず鑑賞ということが可能になった。
厳選する必要がなくなったので、マニアウケしそうなネタを拾いに行くこともある。
こうなると、マニアとしての幅が広がり、他人にとってはどうでもよい情報を蓄積していくことになる。
私の頭の中のマニア的情報収集力は、有益な対象に向けていれば間違いなく博士級だと自認する。
しかし、現実は箸にも棒にかからぬ知識なのだ。
時代が時代なら、ロジャー・コーマンに弟子入りして、一時代を築いていたかもしれない。
で、本作は80年代のリメイク作品となる。
ストーリーは、タイトルどおり学生寮が舞台。
「シータパイ」なる固有名詞がでてきて、タオパイパイ(桃白白)などを想起するも、どこかなじめない。
どうやらこれは、女子寮の名前らしい。
で、シータパイにはUSAホラーにはお馴染みの”しきたり”がある。
このしきたりを受け入れて、仲間としての結束を固めるようだ。
学生生活最後の年を迎え、主人公キャシディ(ブリアナ・エヴィガン)らは女子寮でオープニング・パーティー。
女子寮とはいえ、パーティーはド派手で、男子もしっかりウェルカム。
性やドラッグの開放地帯として、ものすごいパーチ―になっています。
そこで仕掛けられた悪ふざけ。
それが思わぬ展開を呼び、死人が出てしまった。
警察に通報しようとするキャシディと、隠蔽しようとする仲間。
学生時代最後の年を棒に振るわけ?
正義感と自己防衛の激しい葛藤が見られ、結局事件は隠蔽されることに。
それぞれが秘密を抱え、ようやく卒業を迎えた。
再びシータパイで盛大なお別れパーティーが実施されようとしている。
ところが、キャシディたちに何者からかあの事件に関するメッセージが!
そして仲間は、ひとりひとり命を落としていく。
1983年のオリジナルのみならず、他作でもこのプロットは使われている。
そのため、斬新性は感じられず、あとは残酷描写や各キャラの個性によって差が生まれてくる。
本作でもメンバーの人物描写は明確に分けられており、工夫された設定といえよう。
いやゆるスラッシャー系作品だが、犯人は誰か?とのミステリー要素もしっかり。
いくつかの伏線を用意し、あら意外ね~的犯人を仕立てている。
残酷描写であるが、スプラッターと冠するわりには、控え目かもしれない。
事件の発端となったタイヤ・レバーが、後に改良され凶悪な武器と化している。
その割には直接的な描写を避けているので、タイトル期待で鑑賞すると、物足りないかもしれない。
意外性が高いのが、寮母ミセス・クレンショ―の描写。
終盤にはショットガンを構えた勇壮な姿が印象深い。
この演出が不思議だったが、エンドロールでキャストをみると納得。
なんと『スター・ウォーズ』レイア姫でお馴染み、キャリー・フィッシャーだった。
こういう発見が、マニアならではの喜びである。